スタッフYが語る「版画」とは?
こんにちは。スタッフYです。
今回は普段我々が紹介している“版画”について、真面目なお話をふまえて個人的な考えをお伝えしてみたいと思います。
版画というと学校で習うことで版画=木版のイメージをされるのではないでしょうか?
まず日本の版画を調べてみるとその歴史はとても古く、その最初期は木版技術である、と。
時代は『飛鳥・奈良時代』から、とも言われてるとか…。
本当にそんな昔から…?
歴史の教科書でしか知らない時代の技術がこうして現代にまで続き、それを我々が楽しんでいる。
そう考えるとロマンありますね。
そんな版画ですが、初期の頃は現代のような美術的な要素ではなく、宗教の普及のために、いわゆる文字を写した教本を作るために用いられていました。
さらに文字が苦手な人にも、場面を想定させる挿絵を入れて教えることもできるということで、時代の変化とニーズによって、文字だけでなく絵までも版画になっていったと。
ストーリーがみえますね。
この技術が継承されてきたことは、とても尊いことだと思います。
機械技術の進化は、より良いものを生み出していくかもしれません。
しかし、機械での印刷ではなく人の手によって作り出されるものには何ものにも代え難いものがあります。
特に日本においては「浮世絵」などの木版画は特に海外でも評価され、その繊細な技術や表現は日本人ならではの精神を表しているかのようです。これらが時代とともに発展していったことは、日本の職人の美学・伝統と言っても良いでしょう。
感服します。
今なお大切にされる日本の版画は、現代の世界のアート界にも多大な影響を与えてています。世界的画家が日本の浮世絵などを勉強し、己の作風に大きな影響を与えた、という逸話はよく聞かれます。
自分が褒められたわけではないのに嬉しくなっちゃいますね。
木版画の時代から、現代では近代的な機械式でつくられる版画が主流となっていきます。
これにより製作時間の短縮や高水準の製作、大量生産と進化してきたわけですが、昔の有名画家の版画作品がオークションなどで高額に取引されるニュースも時折聞かれます。
版画のクオリティ・希少性が確かなのはもちろんですが、時間が経過していく中、その作品に対して評価と価値が生まれていくのですね。
つまり“今”の価値観で生まれた作品が、“未来”でどのように評価されるかは“その時”でないとわからないのです。
価値をつくっていくのは、今その作品に触れている私たちなんです。
古いから凄い。
新しいから優れている。
そのような観点だけでは価値観が生まれないのがアートの面白さでもあるのではないかと考えます。
より良い作品を生み出すために版画の技術も進歩してきました。
無限に生まれるアート。
その一つ一つをかたちにした版画は、より多くの人が身近にアートに触れるものになり、画家の想いを表現する立派な作品になるのですね。
敷居が高く感じるかもしれませんが、こうした歴史的な背景を少し考えると、実は版画はとても身近に、そして一般的に気ままに楽しむことが根底にあるのだと気づきます。
現代日本でも大変多くの画家が版画製作に取り組んでます。
純粋に自身の作品を多くの人に観てもらいたい気持ちや、販売され価値が高まっていくモノにしたい、など。
一般的社会では日常にごく自然にあるものでありつつ、画家サイドでは商業的観点でも必要不可欠なものになっています。
アート詳しくないから一歩引いてしまうのではなく、自分の感じたそのままで、自分なりのアートを楽しむことが画家と観客側のつながりなのですね。
そしてトム・エバハートの版画。
これまでに数々の版画作品が生まれました。
そこにはトムさんの変わらぬ想いであったり、シュルツ氏との約束、たくされた想いなど、版画をつくりだすことに向き合っています。
画家としてこだわりをもって製作される大型版画。
実生活の中で飾ることもイメージして製作される小型版画。
様々な考え方から制作される版画を、シンプルに観て楽しむことができればそれで良いのです。
“絵”を観て『可愛い』『癒される』と感じたら、それが版画の意味ではないでしょうか。
制作する画家からすれば、その先に自身の考え方やテーマも少しでも共感してもらえれば、より画家としての喜びになるのですから。
“ピーナッツ”と“アートの歴史”という唯一無二のトム・エバハートの版画は、現代の中では本来あるべき版画の本質をもっとも体現している一つかもしれませんね。
多くの作品を楽しむことができる今の時代を是非その目で観て、数十年後の『トム・エバハート』と見比べることを楽しみにしといて下さいませ。
長くなりましたが、版画の歴史にも興味を持っていただけたら幸いです。