トム・エバハート展24周年から25周年に向けて…

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M.Iです。今回は、トム・エバハート展が来年に25周年を迎えるということで、日本でのトム展を共に支えてくれた大切な人を忘れないように…と以前書かせて頂いたブログを引用します。

 

 

以下当時のスタッフブログAmeba Blogより 

2018年4月29日AM9:37

共に過ごし、笑い、泣き、いろんな経験をしてきた仲間・家族の石原 有紀子が亡くなり旅立ちました…。

全国の石原が担当しているお客様にはご連絡出来ず本当に申し訳ありませんでした。

昨年末から体調不良を訴えていて今年の1月に大阪で、そして2月地元の札幌で療養し始め、8月に復帰をと本人も意気込み、そして前向きに自分自身と闘ってきました。

4月11日にお見舞いに札幌へ戻った際も、きっと辛かったのにも関わらず、元気な姿と元気な声で今後のトム・エバハート展の事を語りました。

私もその後の会場でお話ししたお客様にも、そのように伝えていたのですが、家族から28日体調が急変し、GW前半がやまと連絡あり、29日朝、石原有紀子らしくないから人工呼吸器を外しますと連絡がありました。

その後、まも無く天国へ旅立ちました。

享年50歳でした。

出会いは当時札幌のアートアンドアートギャラリーで出会い、お互い30前半、20前半の時でした。

彼女とは18年の長い付き合いで、どうしようもない私に最初から本気でぶつかってくれました。

身だしなみ、言葉づかい、数え切れないほど怒られました。

それでも見捨てず指導をしてくれたのも今でも憶えています。

徐々に展示会規模もそしてトムの作品も多くなり、全国を共に7年まわり、そして2人でトム・エバハート 展を終わらせてはいけないと、津軽海峡を渡り現在のアートコレクションハウスに2人で移りました。

彼女のスタンスでトム・エバハートを全国に更に広げていき、トムを日本へ呼ぶ決意で臨んでました。

清水本部長と酒を交わしながらトム・エバハート を日本に呼びたい…でも、呼べない…どうしよう??から生まれたトム・エバハート・アトリエツアー。

7年間行い昨年で一旦終了をし、また何年か先にトムに会いに行く約束をした事も昨年でした。

今年2月に打合せでアメリカへ行った際に、トムに石原の病状を伝え、場所は違うが同じ癌と伝えてきました。

トムは自分も闘い治った事でYUKIKOも大丈夫と言ってくれました。

石原自身に伝えたら益々早く退院しなくては…と意気込みが。

今でも忘れられません…。

後日トムからメッセージとスケッチブック、何種類かわからないくらいの色鉛筆が送られてきました。

でも彼女は鉛筆も持つ事もできない位でした…。

彼女の責任感・意志、本当に見習わなくてはならなかったし、やりたいことをする為に自分を犠牲にする事も苦にもしなかった彼女…。

当然彼女を慕って下さる全国のお客様、そして我々スタッフも、彼女が旅立った事は現時点でも受け止めることが出来ない。

でも、今現在トム・エバハート展を続けられるのは、彼女が居たからだと思って欲しいそれは断言させて欲しい。

とにかく彼女為、彼女のお客様の為、そして、全国のトム・エバハートファンの為に18年も素晴らしい作品を紹介してきた事を思い、彼女も我々も、第2章に入っていこうと思う…。

石原を知らない方もこんな素晴らしい人間がトム・エバハート展を守ってきた事を少しでも良いのでわかって頂きたい。

それくらい素晴らしい作品を描くトム・エバハートを今現在のメンバーで守っていきたい。

そしてトムはこれからも描き続けていきます。

長くなりました。彼女の思い出は書き切れないと思います。

「また言われるかな??じじぃ!文面がおかしい」って…。

 引用終わり

(※当時の文章そのままに、文章区切りは校正しています。 編集長代理)

 

 

来年25年目を迎えるトムエバハート展、新しい有望なスタッフも仲間入りしています。

これからのトムスタッフ、そして新作にも期待してください。

 

トムエバハート展責任者 伊藤正浩

 

執筆者プロフィール

M・I
M・I
日本で最もトム・エバハートを知る男。アトリエツアーをはじめトムさんについてはお任せください。

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